2017年01月17日

浄土真宗における四十九日の考え方

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人が亡くなってから7日ごとに法事や法要を行い、四十九日までの法要を追善法要、その後1年ごとの法要を年忌法要と呼びます。四十九日法要は僧侶を招いて行う重要な法要で、式場の手配や本位牌の用意など事前に準備しておくことがたくさんあります。法要の後には、会食や参列のお礼と香典のお返しである引き出物の手配も必要となります。浄土真宗を除く仏教では、四十九日まの間、亡くなった人の魂が極楽浄土に行くことができるか閻魔大王の裁きを受けるまでさまよっているという理解の下にあります。しかし、浄土真宗においては、悪人正機説という考え方が取られています。

すべての人間は、根源的には悪人であるため、阿弥陀仏の本願力によってのみ救済されるので、阿弥陀様の本願に相応した時、自分は阿弥陀仏が見抜かれたとおり、一つの善もできない悪人だったと知らされるから、早く本当の自分の姿を知りなさいという考え方です。すなわち、南無阿弥陀仏と念仏を唱える者には、裁きは無縁のものとなります。このため、亡くなった方の行き先の心配をして、追善のための法要も意味がないことになります。亡くなった方は、阿弥陀様の浄土へ往生されますし、阿弥陀様が亡くなった方を導いてくださいますので、遺族が心配したり、追善法要も極楽浄土に行けるように応援するための仏事ではなくなります。

その期間、もし自分が裁きに立たされたら、どんな判決がでるのか、自分の在り方を自らに問いかけ、これからの生き方を考えるためにこそあると考えられます。その意味では、亡くなった方が残された遺族を心配して、念仏に勤めて正しく生きる努力をして欲しいということを、無くなった自分の命と引き替えに用意してくれた縁、あるいは思索の機会であると受け止めることができます。日本においては真宗派のお寺が多いですが、意外と知られていないことです。

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